自分の仕事に、自分自身でどれほど満足しても、その仕事が成功した、と言えない場合があります。それは、どんな仕事でも、人々と係わらなければならないからです。人々が一緒に働いているところでは人間関係につまずいたり、反対に相手をつまずかせたりする可能性があります。もちろん仕事そのもので問題の起きる場合がありますが、人間関係の破綻から生み出される問題は少なくありません。
人間関係の問題の原因は様々ですが、言葉の使い方が争いの原因になることが多いようです。どのようにして、争いを避けることができるでしょうか。聖書では、優しい舌と優しい耳が必要である、と教えています。
「優しい舌」とは、私達の言葉の使い方のことを言っています。聖書には次のような言葉があります「朝早くから、大声で友人を祝福(幸福を祈る)すると、かえってのろいとみなされる。」(箴言27:14)友人を祝福しようとすることは良いことですが、不都合な時に(朝早く)、ふさわしくない言い方で(大声)祝福すると全く反対の結果が生じてしまいます。「優しい舌」とは出来るだけ相手にとって良いタイミングとふさわしい話し方で話すことです。
「優しい耳」とは私達の聞き方のことを言っています。「愚か者は自分の怒りをすぐ現す。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。」という言葉が聖書にあります。(箴言12:16)。「黙っている」という言葉には「気に留めない」という意味も含まれています。相手がふさわしくない言葉を使っても、それを気に留めるか留めないかは、私達の選択なのです。はずかしめを気に留めないことは簡単なことではありませんが、「自分もときには間違ったりして、ふさわしくない言葉を使ってしまう」と思い起こすことは助けになります。また「争いの初めは水が吹き出すようなものだ。争いが起こらないうちに争いをやめよ。」(箴言17:14)との言葉もあります。ダムの壁でせき止められている水が突然吹き出すと必ず被害が起きますし、被害をコントロールすることもできません。争いも同じことです。ですから「気に留めない」という「優しい耳」が必要なのです。
今日は優しい舌と優しい耳をもって同僚と係わってみてはいかがですか。
(2012年 通巻 32号)
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