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八百長問題から学べること

  • 執筆者の写真: Masato Ujiie
    Masato Ujiie
  • 2011年7月30日
  • 読了時間: 2分

言うまでもありませんが、最近の八百長問題は相撲に大いに害を及ぼしました。大阪場所は中止となり、何人かの力士は引退させられました。また、ファンも裏切られたという思いを強くしたのではないでしょうか。

八百長に手を染めた力士の動機は明らかにされていませんが、おそらく自分の地位を守るため、あるいは金銭的な動機があったものと思われます。

聖書にはこの言葉があります。「だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。」八百長の問題に当てはまります。自分の地位を守ったり、金銭を得たとき、その力士は嬉しく思ったかも知れません。言い換えるとそのときはその『パン』がおいしかったのです。

しかし引退させられ、名声が地に落ちてしまったとき、何を感じたでしょうか。自分の口はじゃりでいっぱいのような気持ちではなかったでしょうか。「しなかったらよかった」と反省しても、取り返しのつかないことでした。

一人ひとりの力士は力士になったとき、このようなことをするつもりではなかったと思います。しかし、周りにそのようなことをしている人がいたので、自分もしてもよいのではないかと思ってしまったことが考えられます。

そのことを考えると、私達にも「だましのパン」があるかどうか確かめる必要があります。八百長のようなことではなくても、職場での「だましのパン」があります。同僚のいいアイデアを自分のアイデアとして発表すること、自分の間違いを他人のせいにすること、自分の評価を上げるために同僚の悪口を言うことなどです。周りの人々がそのようなことをしていても、聖書の教えを覚えましょう。いつか、そのパンをじゃりのように味わうときがきます。それはなぜでしょうか。神様は一人ひとりの行動をご覧になって、それぞれに正しい報いを与えるからです。


(2011年 通巻 9号)


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