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危険を避けるには


去年のニュースで、ある犯罪を犯してしまったKさんの話がありました。Kさんは、小さい時から警察官になることを願い、その夢がかなったことに誇りを持っていたそうです。また賞を受けるほど仕事で頑張りました。しかし、いつしか働きがいを失い、最初は気分転換として始めたオンラインゲームにのめりこんでしまいました。結局、毎月数万円をゲームに使うようになり、経済的に困窮しました。

2013年6月のある日にKさんは、仕事上である車を調べることになりました。特段の容疑は見つかりませんでしたが、経済的に困っていたKさんはその車の持ち主の女性からお金を脅し取ろうと考えました。しかし自分は警察官であること、そしてそのようなことをすればすべてを失う恐れがあることを考え、土壇場で思い止まりました。

しかし7月に20万円ものオンラインゲームの請求書が再び届いた時に、Kさんはあの悪い考えを実行に移してしまいました。まもなくKさんは逮捕され犯罪を告白することになりました。この話を読んで、聖書のある言葉を思い出しました。「利口な者はわざわいを見て、これを避け、わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける。」(箴言22:3) Kさんは6月に最初にお金を脅し取ることを考えたときに、その行動に伴う「わざわい」を見ていったんは思いとどまりましたが、結局その先に進んで行って罰を受けました。

皆様には、自分にとって「わざわい」となると思われるものがあるでしょうか。経済的な危険性、人間関係における危険性など、様々な例を考えることができます。職場においても、家庭においても、「わざわい」をもたらす危険性があるとしたら、Kさんのように、それを無視しては危ないのです。無視しては危ないとわかっていてもしてしまう弱さが誰にでもあります。罪を犯さないためには、力強い助けが必要です。

最終的に、私達わざわいを避けるには、神様の助けが必要と聖書が教えています。「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。」(第2サムエル22:31) 神様が自分を守る盾になってくださることについてさらに知りたい方は、是非HFB聖書研究サービス(無料)を申し込んでください。


(2014年 通巻 131号)


 
 
 

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