筆者に新たに孫が与えられようとしています。このことを契機にして、この世に「生」をうけることについて考えてみました。
聖書には
「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」(イザヤ書64:8)
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」(詩篇139:13)
このように書いてあります。「あなた」と書かれているこの方が命を与えてくださったのです。すなわち私たちの人生を見守り、命を終わらせることのできる権威を持った方です。そうであるなら、私たちは与えられた命を、人生をどのように生きなければならないでしょう。
いのちが一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのが 嬉しかった
これは星野富弘さんの詩です。2016年7月に札幌で開催された「星野富弘・花の詩画展」のテーマが「いのちより大切なもの」でした。
このパンフレットを執筆している今、国内外では政治や経済が大きく揺れ動いている時です。真実はいったいどこにあるのでしょうか。世界はどこに向っているのでしょう。戦争は絶えることがありません。リーダーたちの判断の基準はいったい何なのでしょうか。何を中心にして動いているのかわからない状態です。しかしこのリーダーたちをも形造り、命を与えた方がおられるのです。
私たちが創造されたのなら、その目的が必らずあるはずです。生まれてくる孫に教え、残したいもの、それは「命をくださった方」を知ること、そして人生の目的を知ることです。苦しいことも悩み多いこともあるでしょうが、星野さんの詩のように「生きているのが嬉しかった」と言える生涯を歩んでほしいのです。それに勝る喜びはありません。
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