年度末を迎え、皆様もあわただしくお過ごしのことと思います。この時期は人事異動や転勤、就職の時期でもあります。新しい環境に期待している方、また、何かしらの不安を感じている方もいらっしゃるかも知れません。
この異動の多い時期に、以前に上げた北海道拓殖銀行の行員の言葉を思い出していました。「あの一派に入らなければ人にあらずという雰囲気だった。迎合しないで、人事で痛い目に遭うことが本当に怖かった」(「拓銀はなぜ消滅したか」1999年北海道新聞社刊)
最近話題となっている財務省の文書書き換え問題でも、政治が官僚の人事を左右する「内閣人事局」の影響を上げる報道が見られます。真相はまだ分かりませんが、多くの人が人事というものの影響を大きく見ているということだと思います。
筆者も辞令を受け取る立場の人間ですが、どの職場でも同じかも知れませんが、本人の希望はあまり考慮されないにも関わらず、仕事を辞める覚悟が無ければ、拒否はできないというのが人事というもの。人事の力をまざまざと感じるときです。私はこの時期を前にして、次の聖書の言葉を思い出していました。
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」(ローマ人への手紙13:1)
歴史の中で、間違ってこのことばを根拠に、権威を振りかざして正しい者を虐げた悲しい事実があります。聖書を自分の都合のよいように悪用することは避けなければなりません。しかし、聖書のことばを正しく受けとめることはいつの時代にも、どの職場にも求められていることです。
権威、つまり仕事においては職場の秩序が、神によって成り立っているとするならば、自分の立場も神様の支配の元にあるということです。辞令の向こうに自分のことを一番知っておられ、最善のご計画をお持ちの方がいらっしゃると思うと、以前よりも気が楽になりました。どのような時にも、神様に信頼して歩みたいと願わされます。
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