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金メダルより大切なこと


オリンピックが始まりましたので、先週は、パウロというクリスチャンのリーダーが用いた、陸上競技大会に出場する選手の訓練の姿の例えから学びました。今週も、その例えから考えたいと思います。

当時のコリントという町に住んでいた人々は、大会の練習のために一生懸命町の中を走る選手の姿を見ることができたと言われています。ですから、パウロの次の例えは人々にとって身近だったでしょう。「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」(第1コリント9:25)

オリンピックに出場する選手は激しい訓練をします。何年間にもわたって、努力を尽くして、オリンピックを目指すことは普通です。本当にあらゆることについて自制するのです。選手がその厳しい生活を耐える一つの理由は、賞を受けるチャンスがあるからです。

当時の大会の賞は金メダルではなく、花冠のようなものでした。とても価値のある賞でしたが、すぐ枯れてしまいました。パウロがその冠を「朽ちる冠」と呼んで、「朽ちない冠」と比べました。大会の賞の冠より価値があるとパウロが確信した「朽ちない冠」について考えましょう。

オリンピックの金メダルはとても価値がありますが、10種競技で金メダルを得たジェンナー選手は、自分の人生を振り返って、こう言いました。「オリンピックは唯一です。世界中の選手と戦う経験は満足を与えます。けれども、父親の役割を尽くすことはオリンピックの金メダルより大切です。」

私達は人生という競技で、どんな賞を受けようとしているでしょうか。お金でしょうか、昇進でしょうか。人に評価されることでしょうか。それぞれ価値のある賞ですが、それより大切な賞がないか考えてみる必要があるのではないでしょうか。

パウロが書いた「朽ちない冠」は、イエス様を信じ従う人に約束された、永遠の栄誉を意味します。神様が与える栄誉で、全ての栄誉と宝物に勝る栄誉です。それを得るにはただイエス様を信じ従うことが必要です。HFB聖書研究サービスを通して、イエス様を信じる生活と朽ちない冠の価値について学ぶことをお勧めいたします。


(2012年 通巻 59号)

 
 
 

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