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陰口は蜜の味(陰口の危険性)


人は誰でも他人のうわさ話や陰口が好きです。職場でも学校でも、会話の多くの部分が他人の陰口で占められるというのは珍しいことではありません。陰口が話される理由は大きく二つあります。相手よりも自分の方が正しいと思う時、そして相手の評判を落して自分を相対的に高めようとするときです。

陰口の特徴はもう一つあります。聖書には「陰口をたたく者のことばはおいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。」(箴言18:8)という言葉があります。陰口をおいしい食べ物のように喜んで聞く人がいます。陰口を話せるのは、それを聞く人がいるからです。陰口を話す方も、聞く方も考えることは同じです。陰口を話すことによって、相手よりも自分たちの方を何か優れた者のように思い、そして、自分たちの仲間意識をつくっていくのです。やがては、相手を敵として考えてしまうことにつながります。

しかし、聖書には次のような言葉があります。「だれが、『私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた』と言うことができよう。」 聖書は私たちの誰もが間違っており、心のきよくない者である、そして、自分の力では自分をきよめることはできないと言います。ですから、相手をおとしめて、これまでと何も変わっていない自分を相対的に高め、優越感を味わうことは、自分の問題を見えなくさせる危険な罠です。

相手をおとしめたからと言って、自分が優れた者になるわけではありません。神は、他の人と比較してあなたを見ることはありません。全てを公平に見られ、それぞれの状態に応じて報いを与えられます。

私たちは、聖書から人生の問題の解決方法を知ることができます。世界のベストセラー聖書の知恵を学んでみませんか。


(2011年 通巻 21号)

 
 
 

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