一年前のあの日、私のいたビルは長い揺れにさらされました。テレビをつけると津波が街や畑を飲み込む痛ましい光景が映し出されました。会議は中断され、皆でテレビを食い入るように見つめました。あの日から一年。
いまだ、深い悲しみと復興の途上にある被災地の方々のために祈り、私たちの教会も5名が4月の復興支援プロジェクト参加に備えています。
後で知ったことですが、被災地は過去に何度も津波の被害にあい、「ここから下に家を建てるな」という教えが残されていた地域もありました。しかし、長い年月を経て人々の記憶も風化し、また、巨大な堤防を建てることによって津波を防げるとも考えたようです。しかし、頼みにしていた堤防は倒壊し、何重もの安全対策が施され「これで大丈夫」だったはずの原発も爆発しました。
聖書の箴言にはこのような言葉があります。「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」(箴言18:12)
これは被災地にだけあてはまるのではなく、私たち全てに向けられた戒めの言葉です。HFBとして仕事への適用を考えてみましょう。
ある成功体験があったとします。その成功事例に学ぶことも多いですが、当の成功者は、その体験に縛られ、世の中の変化に柔軟に対応できず、事業が破たんしてしまったというのはよく聞く話です。これは、成功体験がその人の高慢につながってしまったからではないでしょうか。高慢は私たちが陥りやすい罠です。一方で、今日の箴言の後半の言葉「謙遜は栄誉に先立つ」は、謙遜の大切さを教えています。
謙遜になる秘訣は、自分の考え方や生活の中に神の存在を認めることです。具体的には、自分の能力や協力者など全てのよいものを与えてくださっている神様に感謝し、神に従って歩むことです。しかし、私たちは成功を自分の功績にして高慢になりがちです。たとえ、「成功は周りの人々のおかげ」と言ったとしても、人間中心の次元でしか物事を見ないと、結局は、その協力者を得ることかできた自分の人望や能力を誇ることにつながってしまいます。人はあくまで自分中心の存在だからです。そのことに気づくのは、絶対者である神の存在を認めることから始まります。
そのような重要なことに気づかないまま生きている自分の問題を認めることから、謙遜への一歩が始まるのです。
(2012年 通巻 40号)
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