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「偉くなりたいと思う人への勧め」


 あなたは、「人の上に立ちたい」「多くの人を従えたい」など偉くなりたいとの思い、願いを持つことはあるでしょうか?このような思いは、個人差はあれど多くの人が同じように持っている欲求だと言えます。私たちの身の回りにも、いかにして人の上に立つかといったハウツー本が多くあります。よく勉強し、多くの人との関わりをもち、実績を残して地位を得ていく方もいるでしょう。

 しかしその地位を得た時、周りの人とどのように接するかは注意が必要です。聖書は、偉くなりたいと思う人に対してこのように教えています。


 「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。『あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。』」(マタイの福音書20章25~27節)


 イエスの教えは、偉くなりたいと思う心を捨てなさいというものではありませんでした。偉くなりたいと思うなら、この世の一般的な価値観で生きるのではだめだという教えでした。イエスは仕えること、相手のために生きることを勧めています。権力を振りかざして支配するのではなく、部下や同僚、後輩など相手のために自分にできることを成す生き方を教えられたのです。この生き方は、イエスがまさにこの地上でとられた生き方でした。イエスは貧しい人を助け、病気の人をいやし、社会的弱者の立場にある人と共に生きられました。そして、自分以外の人のためにいのちを捨て、十字架にかかられたのです。先ほどの箇所の続きにこのような言葉があります。


 「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい」(同20章28節)


 相手に仕える生き方は、周りの信頼を得、職場を活かします。さらにその姿は他でもない神の目にとまり、神がその歩みに豊かに報いてくださいます。偉くなりたいと思うとき、イエスの姿から上に立つ者の生き方を学ぶことをお勧めします。


#(2019年 通巻369号)

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