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「権威を正しくとらえるには」


 3月も後半となりました。年度末を迎え仕事の追い込みや人事異動などで慌ただしいことと思います。

 このような中、国では厚生労働省の統計不正問題に揺れています。報道によると、この問題は、国民の賃金に関する統計の調査方法を2018年から、不適切に変更したことにより、賃金の伸び率を実際よりも高く見せてしまったものであるとされています。

 不正の背景として、賃金の伸びを重視する現政権による関与や、官僚の「忖度」(そんたく)が疑われています。政治主導により官僚の人事が左右されるようになってから、本来は、公平・公正な仕事が求められる官僚側に過剰な「忖度」を産む土壌になっているという指摘もなされています。

 この問題の真相は今のところ不明です、しかし、これらの議論から分かるのは、「人事」という人の人生を左右することのできる立場によって、それにともなう権威が備わり、その権威から権力を行使している、ということです。人はその権力を正しく用いる場合と不正に用いる場合があります。そこで、聖書にはこのような言葉があります。

 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」(ローマ13:1)

 権威とはどのようなものがあるでしょうか。先ほどの政治家の権威、会社における上司の権威、子どもに対する親の権威、先生の教え子に対する権威などさまざまなものがあります。

 聖書は、全ての権威は神によって立てられていると教えています。したがって、権威を委ねられた者は、厳粛な思いで、その力を正しく使わなければなりません。しかし、パワハラや児童虐待、アカハラ(アカデミックハラスメント)などの言葉があるように、自己中心的な人間は、権威を必ずしも正しく使うことができないというのも、また聖書が指摘する事実です。

 権威を与えられた者が高慢になり、間違ってその力を使うときに、いつの世も弱い立場の者が苦しむことになります。聖書はそのような人々に警告しています。自分を見失わないように聖書の言葉に目を向けたいものです。「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。」(箴言16:18)


#(2019年 通巻348号)

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