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「自分の弱さを受け入れる」


 私は精神的に非常に弱いです。特に新しい環境下におかれた時、その環境に馴染むのに時間がかかり、そしてそれが上手く行かないと、うつ状態に陥ってしまいます。私は過去にそのようなことが何度かありました。1回目は、大学を卒業して社会人となった1年目、岩手の営業課に配属され、そこには支店がなかったので、週末は仙台の独身寮、週中は盛岡市内のホテルに滞在して、そこを営業拠点にして活動していました。しかし慣れない仕事と、無味乾燥なホテル住まいに、やがて気分が落ち込み、仕事ができなくなってしまいました。当時は「うつ病」という病気が一般的ではなく、もちろん自分も自分に何が起こったのか理解できず、只々自分が嫌でなりませんでした。

 もうひとつのエピソードは、3度目の転職先である現在の職場で、私は教員をしているのですが、30代後半で新米教員となった私が初めて担任を任された時でした。生徒とのコミュニケーションが中々上手く行かず、担任を持って2ヵ月も経たないうちに、またしてもうつ状態に陥ってしまいました。1度目のエピソードから10年以上も経っていたので、そんなに長い年月が経っているのに精神的に全く成長していない私自身に大変なショックを受けました。そして当時精神科医をしていた私の友人にアドバイスを求めたとき、その人から「耐えられるストレスの許容量は人によってさまざまで、大きなストレスに耐えられる人もいれば、わずかなストレスでも耐えられない人がいる。それは持って生まれたものだから仕方がないんだよ」と言われ、非常に救われた思いがしました。わずかなストレスにも耐えられない弱い自分を受け入れることができずに悩んでいましたが、それ以降、次第に受け入れることができるようになりました。

 聖書にも次のような言葉があります。すると主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです(コリント人への手紙Ⅱ第12章9~10節)。」弱さには、なくてはならない大切な意味があり、弱さは人を活かす力なのです。皆さんの中に、もし弱い自分を受け入れられない方がいらっしゃるのならば、この聖書の言葉によって励まされることを私は強く望んでいます。


#(2018年 通巻334号)

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