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「求めれば必ず与えられる」

 人は年齢を重ねるにつれて、分からないことを認めにくくなります。まして、若い人たちに尋ねるのは、敷居の高いことに思えます。以前勤めていた会社の上司に次のような方がいました。その方はずっと事務畑で働いてきて、営業の経験は全くなかったのですが、あるとき私の働いていた支社の営業部長として転勤してきたのです。営業のベテランである部下たちに、その部長はなかなか仕事を聞くことができなかったのでしょうか、お得意先の会社を訪問する勇気が持てず、その辺りをぐるぐる運転している姿がたびたび目撃されていました。

 私は私立学校の教員をしていますが、この4月から教頭に任命されて、分からないことだらけの毎日が続いています。初めての仕事は分からないのが当たり前なので、外からの電話で分からないことを聞かれると、私は素直に勉強不足であることを認めて、前任者に聞いて調べてから折り返し電話するようにしています。前任の教頭は私よりも年下ですが、私は頼りにしてよく質問しています。

 私の学校には英語科があり、英語科の生徒はアメリカ1年留学か、ニュージーランド1ヶ月留学のどちらかに必ず参加します。その中で大半の生徒たちが経験する壁は、分からないことをなかなか周りの人たちに聞けないということです。日本には、必要以上に言葉に表さずに相手の気持ちを察して行動するのをよしとする文化があります。しかし西洋文化ではそれが通用せず、言葉に出して助けを求めなければ、その人が困っているとは思われません。生徒たちは異国で生活する中でそのことに気づき、分からないことは分からないと言葉に出して積極的に助けを求めるようになります。そしてその瞬間から生徒たちは大きく成長し始めます。

 聖書に次のような言葉があります。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(中略)あなたがたの天の父は、求める者に良いものをくださるにちがいない」(マタイによる福音書7章7節)。困ったことがあったとき、分からないことがあったとき、自分は上司だからとか、年上だからとか、日本人だからとか思わずに、勇気をもって自分から行動を起こせば、神様は必ず手を差し伸べてくれます。


(2019年 通巻361号)

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