最近、何かビジネスに関する本を読もうと思い、書店に行ったのですが、 最初から、あまりにも多くの本が並んでいるので、何をどのように選べば良いのかさえ分からなくなってしまいました。落ち着いて、もう一度選ぼうと思ったのですが、また困ったことになりました。ある一冊を手にとり裏表紙を読んだ時は、面白そうな内容だと思いましたが、また別な一冊の裏表紙を同じように読んでみると、何と殆ど反対のアドバイスが書かれた内容の本だとわかったからです。両冊共PRとして、著者は資格を持つビジネス経験者であると書かれており、更に、第三者による推薦文も添えられていました。その場ですぐに、どちらの本が良いのかを判断することができず、結局、友人が勧めてくれた本にしました。
振り返って考えてみると、この経験は、現代社会のある問題を象徴しているように思いました。今は、情報時代と呼ばれているように、パソコンとインターネットの普及によって、多くの新しい情報が日々提供され、専門家に限らず、誰でもいつでも、その情報にアクセスすることができます。だからこそ、どの情報を読むのか、どれが信頼できる情報なのかを判断することが難しくなってきました。現代の重要な課題だと思われます。
聖書でもこの問題が取り扱われています。箴言の9章では、知恵と愚かさが、物売りの二人の女を通して描写されています。二人とも、通行人に同じ文句で呼び掛けます。「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい」と。この意味は、その表面的な呼び掛けだけでは、どちらが良い情報か、どちらが信頼できない情報かを判断することができないということです。知恵のある女と、愚かな女の呼び掛けは同じですが、実は大きな違いがあります。知恵のある女は、必要な準備をしてから呼び掛けるのですが、愚かな女は、何の準備もせずに呼び掛けます。また、知恵のある女が売っている物は命を支える物ですが、愚かな女が売っている物は、健康を壊して死に至らせる物です。つまり、その情報が提供されるまでに至った背景と、その情報がもたらすであろう結果を調べなければ、その情報を正しく評価することができないという意味です。情報があふれている時代に、そのような作業をするのは困難だと感じるかも知れませんが、情報があふれている時代にこそ、必要なアドバイスなのではないでしょうか。
(2015年 通巻180号)
Comments