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「なんで、私が!?」


 4月は人事異動の季節でしたが、昨年、私も転勤を経験しました。上司から呼ばれて、転勤を告げられた時、当初は「なんで、私がその部署に⁉」と思いました。前の部署は7年働いたこともあって、愛着が湧いてきていたのです。しかし転勤の準備をしていく過程で、ちょうどよい時の異動だということが、次第に分かってきました。

 私たちの日常で「なんで、私が!?」と思いたくなるようなことが、時々起こります。良く思える時よりも悪く思える時に、この言葉を使うことが多いでしょうか。旧約聖書の創世記に、ヨセフという人物が出てきます。このヨセフも「なんで、私が!?」という境遇の連続でした。

 ヨセフは12人兄弟の11番目ですが、父に偏愛され、周りの空気も読まず、自己中心的な夢を語ります。そして腹違いの兄たちの嫉妬を買って、エジプトに奴隷として売られてしまいました。「なんで、私がエジプトの奴隷に!?」

 エジプトではさらに冤罪のため、牢屋にまで入れられるという始末です。それでも夢を解く力が与えられていたヨセフは、エジプト王の難解な夢を解き明しました。そして宰相の地位に就けられ、エジプトを飢饉から救います。「なんで、私がエジプトの宰相に!?」

 さらに飢饉で食料を買いに来た兄弟たちと和解し、一家全員がエジプトに引っ越し、一家滅亡の危機から救われました。「ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。」(創世記45章8節)と、ヨセフは兄弟たちに述べています。ヨセフ物語は単なるサクセス・ストーリーではなく、神の物語、歴史(ヒストリー)の一部と見ることができます。偶然でもなく、因果応報でもない世界です。その後のヨセフ一家には、イエス・キリストに続く、壮大なヒストリーが待っているのです。

 人の側から見ると「なんで、私が!?」という現実が、聖書の視点から見ると別の世界に見えてきます。神のご計画を知りたくなったら、聖書を開いてみてください。そこには壮大な世界が広がっています。



#(2021年 通巻405号)

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