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「メールの返信について思うこと」


 皆さんは、仕事のメールの量に悩まされていませんか?昨年の調べでは、世界中で一日約2690億通のメールが送信されるそうです。また、日本の一般社員は一日平均28通、部長レベルでは99通を受信するとのことで、今後も増えると言われます。


 最近、私は新しい役職に就きましたが、やはり毎日多数のメールが届きます。それらを効率的に扱うために様々な工夫をする必要を痛感させられます。ただ一方で、メールを返すことばかりに気を回しても、決して効率的に働いているとは言えないことに気づきました。メールに答えるだけで、それで自分の仕事を果たしたわけではないからです。また、届いたメールに対して効率的な返信することばかりに気を取られると、それで私の心が支配されてしまいます。そのメールは返信する必要があるか、返信するならばその優先順位はどうなのかを考えないからです。効率的に働くことを目指しながら、結果的にその逆になってしまうこともあるのです。皆さんもそのような経験がないでしょうか?


 イエス様の教えによると、それは仕事に限った問題ではなく、人生においても同じことが言えます。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失ったら、何の益があるでしょうか。」(ルカ9:25)


 確かに、「全世界を手に入れる」ために仕事をするなら、効率的に働く必要があるでしょう。しかし、イエスはそれだけでは不十分だと言うのです。それで得られるものは何でしょうか。全世界を手に入れても、最も大切なものを失ってしまったら、元も子もありません。いくら効率的に働いても、人生の目的が定まらない生き方ならば意味がありません。

 

 あなたの人生の目的は何でしょうか。聖書によれば、聖書の語る神様を知り、この方と共に生きることです。その時に、あなたは本当の自分を取り戻し、生きがいのある豊かな人生を送ることができます。どうぞ、HfB聖書研究に申し込んで、聖書の語る神様を知って頂ければと思います。


#(2020年 通巻390号)

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