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「未知なものへの謙虚さ」

  • 12 時間前
  • 読了時間: 2分

 最近、半世紀ぶりに月の有人周回飛行に成功したアルテミス計画のニュースに接しました。月の最新映像を見ている時、アインシュタインのある言葉を思い出しました。「月は私たちが見ているときだけ存在するというのか?」


 これは、ミクロの世界を扱う理論である量子力学の問題点を指摘した彼の有名なたとえ話です。このミクロの世界ではとても不思議なことが起こります。物質のありようが「観測された瞬間に決まる」というのです。これを「観測問題」と言います。

 

 そんなことはない。物のありようは観測する前から決まっているというのが普通の考えでしょう。アインシュタインもそう考えました。そこで「私たちが見ているかどうかに関係なく月は夜空に浮かんでいるではないか」という先ほどの皮肉となりました。しかし、実験により彼の考えは否定されてしまいます。広大な宇宙に比べればあまりにも小さな存在である人の行為が、物質世界に影響を与えるなどということがあり得るのでしょうか。


 さて、聖書には、「主のことばによって 天は造られた。天の万象もすべて・・・」

(詩編33:6)とあります。ここでは、神が天地を創造したと語っています。そして別の箇所では、それら被造物を人に委ねられたとも語ります。聖書によると人と物質世界の間には密接な関係性があるということになります。だからと言って、聖書の記述の方が正しいと言うつもりはありません。聖書は科学を語る書物ではないからです。


 実際は、先ほどの「観測問題」も、観測に人の関与を不要とするものなど、さまざまな理論があります。しかし、世界中の英知を集めても未だ解決はしておらず、現代物理学の最大の難問とも言われています。


 このように、人の理解が及ばないことはたくさんあります。私は、科学の分野でも、聖書に関しても先入観を持たずに謙虚になる必要があると思うのです。聖書は「謙遜」の大切さを繰り返し教えています。柔らかい態度で知らないことには謙虚に接する。仕事でも家庭生活でも大切なことかも知れません。


参考文献:ニュートン2024.10月号「もつれる量子」など

  (2026年  通巻511号)

 
 
 

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