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「隠された宝」

 私の家には一坪ほどのラベンダー畑があります。6月中旬から7月にかけて、あざやかな紫色のつぼみが風にそよぐ光景はとても美しいものです。

 やがて小さな花が咲き出すと、不思議なことにすぐにハチがやってきます。多い時は8、9匹ほどのハチが現れて、蜜を集めています。ハチにとって花の蜜と花粉はおもな食物ですから、彼らには宝物のようなものなのでしょう。そばでじっと彼らの様子を見ていても、静かに見ている限りはこちらには目もくれません。小さな花を飛び回り、一生懸命に蜜を集めています。やがて集め終わると、またどこかに飛んでいきます。

 聖書にはこのような言葉があります。

 「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(コロサイ2:3)

 私たち人間にとっての食物は蜜や花粉だけではありません。栄養のためにいろいろな種類の食べ物が必要ですし、日常の生活で必要なものも多くあります。確かに私たちの体にとってはそうでしょう。

 では私たちの心の必要はどうでしょうか。ここには、私たちの心にとって必要な「知恵と知識の宝」は「すべて」キリストのうちに隠されている。と書かれているのです。

 「キリストのうちに」ということは、人それぞれが勝手に描くキリスト像ではなく、「聖書の中に紹介されているキリストのうちに」ということです。「聖書の中に」ということができます。私たちは問題に直面すると時に不安になり、自分で考えたり、人に相談したり、本やネットで調べたりします。確かにそれらもある程度は有益かも知れませんが、聖書の中に、すべての知恵と知識の宝が隠されている。という大胆な言葉があるのであれば、聖書を調べてみる必要はないでしょうか。

 しかも、その知恵と知識は「宝」である。と書かれています。その知識が本物で宝のように貴重なものだからです。

 ここでその宝は「隠されている」という言葉に注目する必要があります。行き当たりばったりでは、宝物を掘り出せないように、聖書の中から「宝物」を掘り出すには正しい姿勢で聖書を読む必要があります。

 聖書を読んでみたいけれども読み方が分からないという方は、ぜひHFBの「聖書研究サーピス」をご利用ください。(全4回のコースです。)


#(2019年 通巻364号)

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